国内本と洋書の違い。
それは出版されるまでの時間です。
国内では、早ければ半年以内に出版されることもありますが、洋書の場合は最低でも1年。通常でも2〜3年かかることはざらにあります。何より、英語圏の情報は日本の5年先を行っているため、当たり本の確率も当たり前ですが、かなり高くなっていきます。
今、少しずつ翻訳ソフトを使いながら読んでいる洋書は、2016年に発売され、レビューの数は6000以上評価平均は4.6もあるのに邦訳はされていないんです。
※出版されているのかもしれませんがAmazonで検索しましたが出てきませんでした
もし、翻訳ソフトを使いながら読める時間を確保できるのであれば、洋書を読む時間を増やしてみることをお勧めします。
今読んでいる本の要約の一部・・・
言葉がなくても何かが見える?
言語がどれほど広く私たちと私たちの世界を形成しているのか信じられないという人のために、その力を示す興味深い研究を紹介しよう。
古代文化に青は存在したのか?Radiolabのポッドキャスト “Why Isn’t the Sky Blue? “によると、古代には多くの言語に青を表す言葉はなかったという。ホメロスは『オデュッセイア』の中で、空やエーゲ海をワイン色と呼んだが、青色については言及していない。また、描写や視覚的な詳細が豊富な他の古代の著作にも、青という言葉は登場しない。
そこで疑問が生じる: もしあるものを表す言葉がなければ、あなたはそれを見ることができるのだろうか?
研究者のジュールス・ダヴィドフは、ナミビアのヒンバ族という特殊な部族を対象にこの疑問を研究した。ヒンバ族には緑を表す言葉はたくさんあるが、青を表す言葉はない。
研究の一環として、部族に円形の正方形のパターンを見せた。下の画像のように明らかに青いものを除いて、すべての正方形は緑色だった:
奇妙なことに、部族にこの画像を見せ、異常値を示すよう指示したところ、青い正方形を違う正方形として選ぶことができなかったか、選ぶのが遅かったか、間違った正方形を選んだかのいずれかであった。
しかし、同じような円形模様の緑色の正方形を見せられ、そのうちの1つが微妙に異なる(そして私たちの多くには判別が難しい)緑色だった場合、彼らはすぐにその正方形を見つけた。
私たちにとっては簡単なことでも、彼らにとっては簡単ではなかった。私たちにとっては難しいことでも、彼らにとっては簡単だったのだ。ヒンバ族は青を表す言葉を持たなかったので、緑の四角の集まりから青い四角を見分けることはできなかった。しかし、彼らは私たちが決して気づかないような緑の濃淡を見分けることができた。
つまり、言語によって区別されたものは、より簡単に識別できるということだ。私たちの言語は、私たちが “見る “ものを形作るのだ。
参考記事)
コメントを残す