21世紀の生き方を教えてください


一番大切なことは、変化を恐れない心と決断の速度でしょう。そして、自分の直感力を信じて、個人でしっかりとした大きなビジョンを持つことだと思います。

モノや仕組みなどの他者に依存するのは、よくありません。そのために、徹底的に自己との対話をしなければなりません。

自分が本当にしたいことは、なんなのか? 自分にとって本当に大切で必要なものは、なんなのか? そして自分とは、なんなのか? これをいかに早くどこまで追求できるか、だと思います。

もはやなにが真実であるのか、が問題ではありません。人の物語はさておき、自分の物語を、迷わず進めるかどうか、です。


まずは、徹底的な
自己との対話なのです。


ちゃんと向き合えていれば、その中から、必ず解答が見えるのです。

過去半世紀近くは、日本人にとって戦争も恐慌もなく、なんとなく生きていくことが可能だった時代でした。

他の人と同じように振る舞い、他の人の目を気にしながら、わずかな差を競っていれば、あまり深く物事を考えなくていい時代だったのです。社会が問題をはらんでいても、それが自分の目の前に来ない限り、黙っていれば、自分が叩かれることもなく、安全でした。システムに対してなにか行動したりして叩かれるより、ネットなどで適当にガス抜きをしていればよかったのです。すなわち、多くの人が自分を含めて、問題を先送りにしてきたのです。


しかし、これからは違います。

誰もが直面したことがないような危機が目の前に訪れることになるでしょう。その時に、ちゃんと現実を受け止められる人と、いつまでも他人や仕組みに依存する人に分かれていくでしょう。ですので、誰になにを言われようと、強い個を持たねばなりません。自分としっかり向き合わねばならないのです。

本当にこのままでいいのか? なにか違う生き方があるのではないか? 違う価値観を見つけられるのではないか? と何年も考えて、先行きの見えない社会で暮らすより、大変でも自身の変化を恐れず、あらゆる問題に真摯に取り組み、むしろ大変な時こそ、楽しくいこう!と決めるべきなのです。

当たり前ですが、この本をお読みの皆さんは、世界に一人しかいないのです。どこかの誰かと同じようなカッコや考え方をする必要はありません。

他人に誤解されることを、恐れてはいけません。もはや、すべての人に理解されようと思ってもいけません。


とにかく一刻も早く
「出る杭になれ!」ということです。


これは、国際社会では極めて当たり前の話で、だから個人の自由が尊重され、同時に責任も明確化されているのです。どこかに置いてきた個人の自由と責任を各々がもう一度取り戻さねばなりません。

そして、依存せず確立した個を持ち、その上で信頼にたる仲間を増やさねばなりません。

その信頼にたる仲間は、SNSのような稀薄な関係ではなく、本当のご縁のようなものなんだと思います。だからこそ、その縁を見逃さないために、自分としっかり対話できているかが問われるのです。そして気をつけねばならないのは、個の確立の前に「つながり」を重視すると、相互依存や自分探しに陥りがちです。他人とのつながりで、個を形成しよう、自分を探そうとするのです。

だから今後は、「つながること」をまず重視した相互依存した集団と、確立した個人の集団の、似たようで非なる集団に惑わされることにもなるでしょう。

前者は、実は深層で古い既存の価値観やルールに執着しており、目の前で起きている現実の一部だけを取り上げ、自分たちの偏った世界を作り上げる病的なポジティブさを持っています。現実を冷静に見ずに、皆で励まし合い、無理に明るく振るまうこの病的ポジティブが、サブプライム危機を引き起こしたことは、いまは一般的に言われるようになりました。


一方、後者は現実を素直に受け入れ、あたらしい価値観とルールをはじめるような人々なのです。そして、確立した個人の集合は、いままでにないアイデアをなにより大切にしていこうとする柔らかい人たちです。


「つながる」のは他者ではなく、
自分の心だとわかっている人たちです。


また物理的にも経済的にも、これからは国籍がある国と住む国と働く国と遊ぶ国が一緒である必要はありません。ふたつの場所、ふたつの職業、ふたつの考え方。僕はこれを、ハイブリッドなライフスタイルと呼びました。

本来、バランス、調和がいまの時代が目指すべきものであるはずなのに、実際はアンバランスで不調和のまま問題が次々発生している時代に僕らは生きているということになると思います。エネルギーや環境問題、経済に至る多くのことは、とてもアンバランスなのです。いまにも倒れそうな危険なほどに。

特にいまでも、国家は無理に無理を重ねてまだまだ経済的成長をしようとしています。それが、なによりもアンバランスなことで、今後問題が生じ次々表面化することでしょう。

だから、個人は、経済的成長を無理にすべきか、再考しなければなりません。むしろこの機に余剰なもの、過剰なものを見直し、コンパクトに生きるようにしなくてはいけないのです。いまこそ、見直す時期なのです。今後、なにかあっても、柔軟にいられるように。

だから、アンバランスの時代の上で、個人が柔らかにバランスを取る必要があるのです。


また、俯瞰的に世界の中の自分のポジションを見直すと、個人、共有された個人、家族や小さな集団、地域、国家、提携国家、世界といった複数のレイヤーに分かれて、そのレイヤーを素早く行き来して生きねばならないことがわかるでしょう。

そしてそれらのレイヤーは、デジタル形成されることもあるし、移動することもあるし、並行する場合もあるし、緩やかな提携のような場合もあります。

提携国家とは、EUのようなものを指す場合もありますし、善くも悪くも日本とアメリカのような見えづらい関係の場合もあると思います。TPPなども含まれます。このレイヤーが多ければ多いほど、リスクは減り、楽しくなるのです。変化の時代に、誰よりも素早く大胆に変わること。変化に受動ではなく能動的で、挑戦的かつ楽しく柔軟であることなのです。

このように生活はハイブリッドで多面的になりますが、一番大切だと僕が考えていることは、二十世紀に分断させられていた頭と心、右脳と左脳を統合することです。

なぜなら、いまの社会はどこか間違っている、と思っていても、その狭間をごまかすために物欲などで満たしてきて、右脳と左脳を分断していたからです。心や直感のようなものと、頭で考え抜いた効率性の追求の狭間を、物欲や適当な娯楽、本当はいらない情報などで埋めてごまかしていたからです。

今後の社会はこのふたつの衝突がますます激しくなるでしょう。だから個人は、右でも左でもなく、この統合にこそ二十一世紀を生き抜く鍵があると僕は思います。


外的なものは、分散を経て共有へ。

内的なものは、統合されるべきなのです。

二十世紀の自分と決別して。

それが、二十一世紀の生き方なんだと思います。


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